海を見る自由(髙橋) | 東進ハイスクール新宿エルタワー校|東京都

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2016年 12月 8日 海を見る自由(髙橋)

 

こんにちは。上智大学文学部3年の髙橋大地です。

多くの人がはじめましてだと思います。

今日は、大学生活の半分以上を経過した私が、大学生活とは如何なるものなのか感じ考えたことを皆さんにお伝えしたいなと思います。

「大学生活はモラトリアム」

「大学生活は人生の夏休み」

大学生活の期間をこう表現する人がたくさんいます。

私が大学生活を3年間過ごしてきて、そして就職活動などや東進での勤務を通して「過去」を振り返り、「今」を見つめ、「未来」を想像した時に、大学生活は本当にそうであると、「モラトリアム」であり、「夏休み」であると感じました。

高校生の頃を思い返してみると「親」と「学校」に管理されている自分がいました。

社会に出てからは「会社」、「家庭」、そして「多くの責任」を背負う自分が想像できます。

大学生は唯一「何にも縛られない自由を享受できる場所」であると思います。

立教新座中学・高等学校の校長である渡辺憲司先生は、2011年3月に大学へ進学する卒業生へ次のようなメッセージを送っています。

 

(以下、立教新座中学・高等学校のHPより引用) 

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

(引用終了)

 

「自由」の過ごし方はみなさん次第です。

勉学に夢中になるもよし、アルバイトを思いっきり頑張るもよし、サークル生活を謳歌するもよし、だらだら過ごすことも自分次第ではできます。

みなさんがすべきことは、「自分にとって最良の選択をし続けること」だけです。

自分の大学生活を想像することはありますか?

その想像を現実のものとするために、受験生は努力を惜しんでいないですか?前だけを見てただひたすら走り続けていますか?

「未来」を形作るのは「今」の積み重ねです。

担任助手一同、エルタワーからみなさんの「未来」を応援しています。

 

 

明日のブログは明治大学4年生の打木友佳です。お楽しみに!